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2011年4月1日金曜日

遅すぎる判断だ!東京電力:巨額賠償に対応…電力安定供給優先 政府管理へ

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東京電力:巨額賠償に対応…電力安定供給優先 政府管理へ - 毎日jp(毎日新聞) mainichi.jp/select/today/n… via @mainichijpnews 遅すぎる判断だ!津波後事故ごすぐに方向性を出すのが本当!
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洪水とノアのエピソードは印象深く

高校時代 旧約を夢中で読んだことがある。

 洪水とノアのエピソードは印象深く

 地震や水害は怖いとの思いが強い。

 戦争で逃げ廻った思い出。 

 大阪で南海地震を受けたのは昭和19年
 大地が揺れ、通りで這いつくばってこらえた経験がある。
 台風で家の屋根が飛んだり、水につかったりしたのも子供時代。

 聖書を読んでノアに」共感

 災害に備えるようになった。

 やや小高いところに(洪水がないと判断)耐震構造の家を持った。

 石油やコンロ、水など絶えず保存

 炭やガスボンベも、そして旧タイプの電熱器も各種

 缶詰や豆類、塩、砂糖なども少々

 1ないし2週間くらいは何とか生きていける蓄え。

 手押し車は一台、移動運搬道具は最後は自転車だろうとおもって数種保有している。

 庭の倉庫にもスキー服など寒さに強い衣服がおいている。

 

2011年3月6日日曜日

"日本・ユダヤ封印の古代史" 天皇家も琉球弧列島にも

 天皇家も琉球弧列島にも

以下の内容の本は西欧と日本の謎を解くのに必読と思う

"日本・ユダヤ封印の古代史" ⇒http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm

 以下引用提示(転載)

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史――失われた10部族の謎
面白い、じつに面白い、それが読みながら感じたことだった。このたび徳間書店より、「日本・ユダヤ封印の古代史」(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著 久保有政訳 ハードカバー 定価1800円+税)が発売された。
 ラビ・トケイヤーは、二〇年以上前に「ユダヤと日本・謎の古代史」という本を出版しているが、この新刊は、それをはるかに上回る豊かな内容を持っている。
 ラビ・トケイヤーは、「ユダヤと日本・謎の古代史」の出版後も日本とユダヤの古代史における関わりについて熱心な研究を続けてきた。この新刊は、その集大成ともいえる。
 以下、その内容を一部紹介したいと思う。なお、この本の購入はお近くの書店、またはレムナント出版の注文窓口でも取り扱っている。


イスラエルの失われた部族

 かつてソロモンの時代に統一王国だったイスラエル王国は、ソロモンの死後、南北に分裂。北王国イスラエルと南王国ユダになった。
 北王国イスラエルには、イスラエルの十二部族のうち十部族が属し、南王国ユダには残りの部族が属した。
 紀元前七二二年、北王国は東の強国アッシリヤ帝国に占領され、民は捕囚となってアッシリヤへ連れ去られる。
 その後、北王国イスラエルの十部族の人々の行方は、歴史的にはっきりわからないものとなっていた。彼らが、いわゆる「イスラエルの失われた十部族」である。
 しかし、紀元七〇年のエルサレム滅亡後、世界に離散していったユダヤ人たちは、世界の各地で、イスラエルの失われた十部族の人々に出会うようになった。あるいは、「ここに十部族が来ていた」 
という証拠をつかむようになった。
 いまや、イスラエル十部族がここに来ていた、という報告は世界中の多くの所から届いている。とくにそれはシルクロード付近に集中している。


アフガニスタンに来たイスラエル十部族

 ラビ・トケイヤーは、まずアフガニスタンに今も、イスラエルの失われた十部族の子孫が住んでいることを指摘する。
 
カシミールに来たイスラエル十部族

 また、カシミールにも、イスラエルの失われた十部族の子孫が多く住んでいる。カシミールは、インドの北部の地である。
 カシミールには、かつてイスラエル十部族の地にあったと同じ町の名前があちこちについている。これは人名についても言える。

インドとミャンマーに来たイスラエル十部族

 インドとミャンマー(旧ビルマ)にも、イスラエルの失われた十部族の子孫が今も住んでいる。
 ここに、「メナシェ族」(シンルン族)と呼ばれる人々が住んでいる。

中国に来たイスラエル十部族

 また、イスラエルの失われた十部族は、中国にも来ている。
 中国にチアン族(チアン・ミン族)と呼ばれる人々がいる。
 彼らには、自分たちが西方のかなたからやって来たという伝説がある。
 彼らは、かつて自分たちが話していた言語を失ってしまった。また、かつて自分たちが持っていた羊皮紙に記された聖なる本も失ってしまった。
 しかし、彼らは古来、唯一神教を信じてきた。彼らの神観念は聖書の神と同じである。
 彼らの言い伝えによれば、自分たちはアブラハムの子孫であり、また自分たちの先祖には十二人の息子がいた。これはヤコブのことである。
 
イスラエルの失われた十部族は日本に来たか

 ラビ・トケイヤーは、そのほかにも非常に多くの事柄をあげて、イスラエルの失われた十部族の人々がとくにシルクロード付近に足跡を残していることを例証している。
 ではシルクロードの終点はどこか。日本である。
 イスラエルの失われた十部族は中国までやって来ていた。彼らの一部はアフガニスタンや、カシミール、インド、ミャンマー、中国などに、住み着いた。
 しかし、それで終わりだろうか。その他の人々、あるいは本隊の人々はさらに東に向かい、日本にまで到達したということは考えられるだろうか。


死者の汚れの観念

 日本では、お葬式に参加すると、参列者に「お清め塩」が配られる。参列者は、自分の家に帰ったとき、玄関前でそのお清め塩を頭に振りかけてもらわなければならない(塩祓い)。そうやって身を清めてからでないと、家に入れてもらえないからである。
 古代イスラエルでも、葬式に参加した人や、死体に触れた人は、決められた方法で禊ぎをしなければならなかった。
「身の清い人が……ヒソプを取ってこの水に浸し、それを……死人や墓に触れた者の上に振りかける」(民数記一九・一八)
 こうやってイスラエルでも、死体にふれた者は禊ぎをして身を清めなければならなかった。今日も、ユダヤ人墓地の入り口には必ず水の備えがある。ユダヤ人の家の玄関の近くにもある。それは、墓やお葬式に行ってから帰ってきたとき、そこで禊ぎをするためである。
 日本神道の神話においても、イザナギは、妻のイザナミを「黄泉」の国(死者の世界)から連れ返そうとそこに行き、帰ってきたとき、死者の汚れを祓うために川で水浴して禊ぎをしたと記されている。
 ちなみにこの「黄泉」という神道の死者の世界も、旧約聖書でいう「シェオル」(日本語で「よみ」と訳されている一般的死者の世界)によく似ている。
 日本神道の重要な特徴は、死者の汚れ(穢れ、忌み)の観念を持っていることである。死人を出した家や、葬式に参加した人などは、「汚れに触れた」と言われる。欧米人には、このような「汚れ」の観念はない。
 この「汚れ」は物質的な汚れではなく、宗教的、儀式的な汚れである。こうした日本神道の死者の汚れの考え方は、古代イスラエルにあったものと同じである。
「どのような人の死体にでも触れる者は、七日間汚れる」(民数記一九・一一)
 と旧約聖書に記されている。日本神道でも同様に、家族に死人が出たときや、親族に死人が出たとき、一定期間「汚れている」とみなされている。
 この期間には、人は神社に参拝することもできない。古代イスラエルでも、汚れの期間にある人は神殿に来ることを許されなかった。
 仏教の葬儀は寺の中で行なわれるが、神道式の葬儀は、必ず神社以外の場所で行なわれる。それは汚れを神社内に持ち込まないためである。また葬儀に参加した神主は、葬儀に用いたものを境内に持ち込まない。たとえ持ち込む場合でも、必ず禊ぎをして清めてから持ち込む。
 また自分自身をも清めなければならない。古代イスラエルにおいても、神殿では決して葬儀は行なわれなかった。
 聖書にはまた、古代イスラエル人はモーセとアロンの死の際に、「三〇日間」泣き悲しみ、喪に服したと記されている(申命記三四・八、民数記二〇・二九)。一方、一〇世紀に日本でつくられた『延喜式』によると、汚れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を、人の死ならば「三〇日」と定めている。
 また三ヶ月以内の胎児の流産や、手足の一部を欠いた者の死体の汚れは「七日」の忌みとされている。このように死体の汚れに関する日本神道の考えと、古代イスラエルの風習はたいへんよく似ているのである。


女性の月経や出産に関する観念

 死体の汚れだけではない。日本には女性の月経や、妊娠中、また産後に関する汚れ(忌み)の観念が古代からある。
 古来、日本では月経(生理)中の女性は神事に参加してはならなかった。夫との性交渉もさけられ、彼女は部落内に設けられた共同の別小屋(月経小屋)に、月経中およびその後の数日あるいは七日程度にわたって、こもらなければならなかった。この風習は明治頃まで広く日本中に見られたものである。

 またラビ・トケイヤーは、日本に割礼の風習が見られるか否かについて、次のように述べている。

お七夜

 日本にもしイスラエル人がやって来たのであれば、日本には割礼の風習があるであろうか。
 私は、日本の皇室で割礼が行なわれているという噂を聞いたことはあるが、一般には、日本に割礼の風習があったか否かを確かめることができていない。
 今日の一般の日本人の間には割礼の風習はない。しかし、日本には古来「お七夜」といって、生まれてきた子どもを親戚や知人に披露し子どもの名前を紹介する時を、生後七日目の夜に行なう風習がある。
 生後七日目の夜というのは、ユダヤ式の数え方でいうと、生後八日目にあたる。ユダヤでは日没から日没までが一日で、日没が来ると次の日になるから、七日目の夜は八日目なのである。
 この風習は、『生後八日目の割礼』というイスラエル人の風習の名残?

仮庵の祭と中秋の名月

 日本には、旧暦の八月一五日に、「一五夜」という風習がある。
 これは新暦では九月中旬~一〇月上旬頃である。日本で「十五夜」の日は、ユダヤ暦ではちょうど第七月(ティシュレイ)の一五日であり、仮庵の祭の日にあたる。つまり日本で「十五夜」を行なっているとき、ユダヤでは仮庵の祭を行なっているのである。
 「十五夜」のとき、日本人は伝統的にしばしば仮庵を建て、そこに家族や親戚が集まった。ススキを花瓶にさし、団子や里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、「中秋の名月」をながめて、お月見をする。
 
収穫を供えることと仮庵の祭

 日本にはまた、古来、収穫の初穂を神に捧げる優美な風習がある。日本人は「おはつほ」と言って、穀物や果物、そのほか製作した作品の初めて取得した一部を、初穂としてまず第一に神に捧げる。
 毎年一〇月(旧暦時代は九月)に伊勢神宮を中心に行なわれる「神嘗祭」は、収穫の初穂を神に捧げる祭である。初穂を神に捧げる風習は、古代イスラエル人も同様に持っていた。
 「あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない」(出エジプト記三四・二六)
 
 日本にはまた、ユダヤの過越の祭が見られるだろうか。ラビ・トケイヤーは次のように述べる。


琉球の「看過」とユダヤの「過越」

 ユダヤ人には、古くから「過越の祭」と呼ばれる風習がある。これは聖書の「出エジプト記」に起源を持つもので、今から三千年以上前にエジプトで奴隷だったイスラエル民族が、モーセの指揮のもとエジプトから大脱出した出来事を覚えるものである。
 イスラエル民族がエジプトを脱出する前夜、「過越」と呼ばれる出来事があった。これは、すべての家庭の長男が死ぬという災禍がエジプトの国に下ったとき、ただイスラエル人の家庭だけはその災いが「過ぎ越した」というものである。
 イスラエル人は、その災いが来る前に、神の命令によって小羊をほふり(殺し)、その血を家の門口に塗っていた。彼らは血をヒソプという植物の束に浸し、家の門口に塗った(出エジプト記一二・二二)。その血の塗ってある家庭は、さばきの天使がそこを過ぎ越したのである。イスラエル人は、ほふったその小羊をその夜、焼いて食した。
 これによく似た風習が、日本の琉球地方(南西諸島)に今も伝わっている。
 中田重治は、琉球地方には「看過」と呼ばれる、牛をほふってその血を家の門口に塗る厄祓いの風習があると述べていた。このとき羊ではなく牛が用いられたのは、日本には羊がいなかったからであると、中田は考えていた。
 私は、日本人の友人の助けを借りて、この「看過」の風習について沖縄の教育委員会や町史編集委員会に問い合わせしてみた。すると事実、古くから「看過」あるいは「シマクサラシ」(厄祓いの意)と呼ばれる風習があるという。
 これは災厄を家や村に入れないために、牛をほふり、その血をススキの穂や、桑の葉等の植物に浸して、家の門口や四隅、村の入り口等に塗るというものである。その牛は、その日、焼いて皆で食された。
 これはまさに、ユダヤの過越の風習を思い起こさせる。ちなみに「看過」という日本語は、見過ごす、見のがすの意味で、過越と同じ意味である。
「看過」の風習は今日も行なわれている。ただし今日は、牛ではなく、豚を使用している町が多い。「どうして豚を?」と聞くと、昔、牛を殺すことを禁じる禁止令が出たので、豚に変えたという。
 また看過の風習は、おもに旧暦の二月初旬、および八月初旬などに行なわれている(年二~三回)。旧暦の二月というのは春であり、新暦では三~四月頃にあたって、ユダヤの過越の祭と大体同時期であることも興味深いことである。
 聖書によれば過越の小羊は、ユダヤ暦ニサン(アビブともいう)の月の一四日にほふられた。これは太陽暦では、三~四月頃に相当するのである[看過すなわちシマクサラシの風習については、『沖縄大百科事典』(沖縄タイムズ社刊)にも解説がある]。


 以上は、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著「日本・ユダヤ封印の古代史」(徳間書店刊)より、ごく一部を紹介したものである。本には写真等も多くある。ぜひ購入して、続きをお読みいただきたい(お近くの書店、またはレムナント出版の注文窓口で扱っている)。http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/katarogu.htm#huuin

2011年2月19日土曜日

天使とは 草間吉夫さんはきっと神様の申し子なんだ!

朝日ニュースターの週刊鉄学で本物の”タイガーマスク”のような人が紹介された。

その方は以下をご覧ください。
============グーグル検索で得た情報
1.
草間吉夫 - Wikipedia
また、厚生労働省「児童福祉施設等評価基準検討委員会」委員や厚生労働省監修「児童福祉施設における子どもの権利擁護の手引き」編集・執筆を務めるなど、福祉畑を歩む。 2006年1月、茨城県高萩市長選挙に立候補し、初当選。高萩市長に就任する。 ...
ja.wikipedia.org/wiki/草間吉夫 - キャッシュ - 類似ページ
2.
草間吉夫プロフィール | 松下政経塾
茨城県高萩市長/無所属. HP, http://www.city.takahagi.ibaraki.jp/. 略歴, 1966年生。茨城県高萩市出身。家庭の事情により、「乳児院」と「児童養護施設」で育つ。 東北福祉大学大学院修了(社会福祉学修士)。児童養護施設に5年間勤務。 ...
www.mskj.or.jp/profile/kusa.html - キャッシュ - 類似ページ
3.
茨城県高萩市 -感性はぐくむ「こころの里City」-
ようこそ市長室へ. 高萩市長. 草間 吉夫. 郷土愛 誇り 市民一体で 高萩再生を ... 〒318-8511 茨城県高萩市本町1-100-1 TEL:0293-23-2111(代). 開庁時間. 平日(月曜~金曜)午前8時30分から午後5時15分まで。(祝日及び12月29日から1月3日までを除く) ...
www.city.takahagi.ibaraki.jp/ - キャッシュ - 類似ページ
4.
茨城県高萩市長 草間 吉夫様-NPO法人 おかえりblog
茨城県高萩市長 草間 吉夫様 [2010年10月29日(金)]. こんばんは。 一昨日、昨日と、《全国自立援助ホーム連絡協議会》に参加していた父。 昨日のお昼に、《全国自立援助ホーム連絡協議会》を終えた後、静岡県から茨城県高萩市へと移動して一泊し、今日の ...
blog.canpan.info/okaeri/archive/157 - キャッシュ
5.
このたび茨城県高萩市長に就任される方は幼少の頃から大変苦労をされ ...
2006年3月5日 ... このたび茨城県高萩市長に就任される方は幼少の頃から大変苦労をされたと聞きました。国会議員の中にもそのような方 ... 「戦争を経験した」国会議員は、市長の何十倍も苦労しています。 家族、友人、既成の価値観etc…の多くを一瞬にして失っ ...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147600699 - キャッシュ

2011年2月11日金曜日

ご指摘、ご感想ありがとうございます。時代は変わる

メールありがとうございます。。 ご指摘、ご感想ありがとうございます。時代は変わるのとも思うのです。
ご指摘、ご感想ありがとうございます。いろいろと考えるところがありました。
言葉が適切でなかったのでしょうが、若い有木さんを落胆させてしまったのは、反省すべきだと思います。
 僕は思っていることを、まだしも、下手ながら少しは言えるほうなのでしょうが、有木さんは口数が少なくあまり抗議できない方なのか、怒ってしまうと言いたくもなくなったのかもしれません。有木さんが何に怒られたのか、まだよくわかっていませんが、過去の記事の月別アーカイブ表示が「乱れに乱れている」と何度も言ったことかもしれません。ご存知でしたら、教えて下さい。もう高齢の僕が陰で苦労しておられる若い有木さんに対して配慮が足らなかったのでしょう。
 内部のことは出さないようにとおっしゃるので、今回は川瀬さんへという文章をひとまず下書きに戻しました。
 アップの前にあらかじめ川瀬さんの許可を得るべきでした。ただ、それほど書いてはいけないことばとは思いませんでした。それ以前に、なぜこのようなブログになったのか、メンバーにも読者にも説明する必要があったでしょう。
 比較的最近、片山さんから「読者の広場は読者に開放してあげて」と言われて、びっくりしたことがあります。ぼくには、ジャーナリストである皆さんが、ぼくの発言にかかわらず、もっと読者の広場やコメント欄に書くべきだと思います。また、なぜ僕に反論されないのか、わからないのです。いちばん年上だからでしょうか。
 昨年春、長年教師をされていて、研究者になっておられる方に投稿を強く勧めましたが、コメントすらする気になれないようでした。阿修羅掲示板(http://www.asyura2.com/11/senkyo107/index.html)でビシバシといろんな好敵手とやりあっておられて、当読者の広場のような物足りない掲示板にはがっかりしておられました。そのことは当時片山さんに何度か申し上げたのですが、彼の琴線に触れないことなんだとおもいました。小生は”阿修羅”掲示板のようにアクセス数が多いというのは好ましいとことだ思うのです。
 しかし時代は変わるのだとも思うのです。これからは掲示板よりtwitter, Googleアカウント(ブログも含む)やFacebookが”三種の神器”ではないかと、そしてそれらをうまく組み合わせて活用してJ-netブログのアクセスをを増やせるのではと願っています。
 ジャーナリスト・ネットに必要なのは、自由な討論の場だと思います。読者の広場やコメント欄がなく、意見を述べたり反論したりできないのは、ジャーナリストとして恥ずかしいのではないでしょうか。また、過去の大事なアーカイブ記事、インタビュー記事などが見られなくなっているのはおかしい、バックアップをしていつも補償できるようにすべきではなかったでしょうか。インタビューさせていただいた方々に失礼ではありませんか?
 川瀬さんが今回のようにいろいろおっしゃって下さるのは、とてもありがたいのです。
ただ、川瀬さんが文字を勝手に大きくしたとおっしゃいますが、それはちょっと以前に三室さんが大きく(http://journalistnetannex.blog74.fc2.com/blog-entry-213.html)しておられるのを見て、真似しただけです。僕は高齢で目が見えにくくなっているので、鄭さんの文字などは本当に読みにくいのです。僕だけ責められるのは無念です。
 文字を大きくするのはお認めになって読者の便宜を図って行こうではありませんか?

 ながくなりました。明日の議題はなんでしょうか・ ご教示賜りたく! 

   それではよろしく。 k.isjikawa拝

2011年1月26日水曜日

モーツアルト、 「魔笛秘教オペラ」そして フリーメーソン

音楽愛好家の知人(FJ氏)はGDで音楽を聴くのを日頃の楽しみとしておられる。

西欧の音楽をさらに深く理解するために、キリスト教文化、

フランス革命ほか広く深く理解する必要を感じて、

読書にも精出すこのごろだそうです。

最近頂いたメール(去る正月22日午前)に読み応えある読書感想を書いて送って下さったのでここに掲載させて頂きます。
==============

読書の感想

「魔笛秘教オペラ」(ジャック・シャイエ著、1976年10月第1刷)

が非常にためになりました。というのは今まで恥ずかしながらこのオペラは、

メルヘンチックなお伽話で、しかも途中で筋が逆転していると思い込んで

いたのですが、シャイエの本によるとそれは全くの誤りで、非常に高度な

人間の精神、思想を表現したものであり、筋の途中での転換はなく、最初

から一つの思想で一環している、というのです。

 シャイエによると、台本の根本思想は、《叡智》は「太陽の輪」=

宇宙を包囲し、それを自らの光線で貫いているもので、あるとき人間は男性

=太陽の王国と、女性=夜の王国に分離した、…分かりにくいですが、夜の

女王の夫が支配していた時代は性は未分離だった、そしてその夫が亡くなっ

たあと、ザラストロが太陽の王国の守護者となり、その奥義は、女の才知の窺

い知るところではない、とするかなりアンチ・フェミニズムの思想です。女の務

めは賢明な男たちの導きにすっかり身をゆだねることにある、とも言い切ります。

 そして秘教(ここではフリーメーソンを指していると思いますが)への入信式

(イニシエーション)の最終目標は、男らしく行動すること、ここでの男は男性

Mannであり、人間Menschではない、とわざわざ断っています。かなり男尊女卑

的なものですが、当時のフリーメーソンの仕組みを忠実に反映してるのだと思

います。

 そして飛躍しますが、⇒ここからは、訳者・藤井康生氏の解題から引用~ 

古代(エジプト?)のフリーメーソンの起源は、「混沌」から「秩序」へという宇宙

開闢神話をみずから体験することによって創造上の秘密を知ったことから発生

したものであり、半神的「ホモ・ファーベル」(具体的には錬金術師や、建築師

=石工メーソン)であり、イニシエーションを受けたモーツァルト(彼自身は「魔笛」

作曲の数年前の1785年に入会していた)は“音楽の錬金術師”とも言えるのでは、

ということです。

 また、フリーメーソン結社のイニシエーションの神話的シンボリズムを解き明かし

ただけでなく、この秘密結社の実態、とりわけ男性結社と女性結社の対立抗争を

実証的に明るみに出すことによって、「魔笛」という作品の「宇宙開闢神話」にきわ

めて18世紀的な時事的意味を与えた、とも述べています。

 この最後のくだりは、非常に新鮮な視点で、しかも難解ですので、本をよく読まな

いと理解できない(私もまだ朧げな理解です)と思います。「魔笛」がフリーメーソン

の儀式を取り入れた、ということは以前から知ってはいましたが、ここまで「深読み」

した書物は初めてで、目からウロコが落ちる思いでした。今後「魔笛」を鑑賞すると

きは、以上のような理解の上に立ってみるべきかなと思っています。

 長くなりましたが、これから図書館へ本を返却しに行きます

一部割愛してJournalist-Netにも掲載・併載

2011年1月24日月曜日

浅井慎平さんと再会するチャンスはいつ?

永遠不変の人間のあり方(浅井愼平さん)

- 「どらく編集委員」通信 -

[どらく]  

==============
自由主義経済への批判的な眼、

変わらない人間性へ眼。

大阪芸大で

そういう眼を持った若者を育てておられるのだろうか? 

再会のチャンスはいつ?