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2012年2月27日月曜日

ピラミッドの情報 に関して謎や、建設方法などの記事

、ゆうべお送りした、浅川嘉富氏のブログ中、ピラミッドの情報
に関してより詳細な謎や、建造方法などの記事がどうやら削除されたら
しくて、そのURLではそれ以上載っていないようでした。中途半端で
済みません。

 で、ネットで検索して少し目ぼしいものを拾ってみましたので、以下
ご紹介したいと思います。

 ★エジプト・ギザの大ピラミッドの中で、一体何が起きたのか?:

 http://www22.ocn.ne.jp/‾p-inpaku/pyramid/j_index.htm

 著作権: 地球の謎謎調査室  1999 - 2005 と表示されていて、それ
以上詳しいことは分かりません。ややマニアックで読みづらいかも知れま
せんが悪しからず。

 ★ピラミッドの秘密~ギザの三大ピラミッドの謎を解こう!:

 http://blog.livedoor.jp/ma1115_iri1822006/

 かなり長文で、しかも白黒反転で読みづらいかと思いますが、ご勘弁を。
これもかなりマニアックで、次々リンクしていける構造になってるようで
す(私も全部は読みきれていません)。
 ブログの製作者は明記されておらず、ただ collaborate with『ムー』と
あるので、雑誌『ムー』出版社関連の提供かも知れません、済みません、
あやふやなことで…。

 ピラミッド関係はとりあえず以上です。

 
              2月26日お昼前  F.J. 拝

2012年2月25日土曜日

「銃・病原菌・鉄」に上下2巻挑む

きょうは良い天気でした。

図書館で

「華竜の宮」の

代わりに、次の書物を借りてきました。

人類の歴史の謎に挑む科学書で、

題は「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社、2000年10月=原著は1997年)上下2巻です。

 Amazonの説明によると――
   (Amazon.co.jp
銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇
帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、
アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?な
らば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵
攻というかたちになったのだろうか?
否、と著者は言う。そして、その理由を98年度ピューリッツァー賞に輝いた本書で、最
後の氷河期が終わった1万3000年前からの人類史をひもときながら説明する。はるか昔
、同じような条件でスタートしたはずの人間が、今では一部の人種が圧倒的優位を誇っ
ているのはなぜか。著者の答えは、地形や動植物相を含めた「環境」だ。
たとえば、密林で狩猟・採集生活をしている人々は、そこで生きるための豊かな知恵を
もっている。だが、これは外の世界では通用しない。他文明を征服できるような技術が
発達する条件は定住生活にあるのだ。植物栽培や家畜の飼育で人口は増加し、余剰生産
物が生まれる。その結果、役人や軍人、技術者といった専門職が発生し、情報を伝達す
るための文字も発達していく。つまり、ユーラシア大陸は栽培可能な植物、家畜化でき
る動物にもともと恵まれ、さらに、地形的にも、他文明の技術を取り入れて利用できる
交易路も確保されていたというわけだ。また、家畜と接することで動物がもたらす伝染
病に対する免疫力も発達していた。南北アメリカ、オーストラリア、アフリカと決定的
に違っていたのは、まさにこれらの要因だった。本書のタイトルは、ヨーロッパ人が他
民族と接触したときに「武器」になったものを表している。
著者は進化生物学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ニューギニアを
中心とする長年のフィールドワークでも知られている。地球上で人間の進む道がかくも
異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学などの豊富な知識を駆使して
説き明かす本書には、ただただ圧倒される。(小林千枝子)
……以上、引用終了。

 引用が長くなって済みません。

 学者の論文だから堅苦しいとは思いますが、テーマが興味深いだけに
じっくり読んでみます。

偶々、Twitter上で紹介されていたので読む気
になりました。

二回目のメールありがとうございます。
「銃・病原菌・鉄」を借りれたよし、確かになんだか面白そうですね!
発行から14年アジアアフリカもやや発展して来ているとは言え、
欧米の進歩は抜きん出ましたね。
武器や産業について十分書かれているのは楽しみですね。  

 さて各種記事URLご紹介ありがとうございます。

ごくごく最近車に7、8m跳ね飛ばされると言う交通事故に

遭った写真家のT・・Yさん(入院中)から電話を貰いました。

お互い事故に遭わないよう気をつけて過ごしましょう。

ではまた、御身大切に!

k.i拝

2012年2月2日木曜日

小林秀雄のMozart 疾走する悲しみ

交響曲 ト短調 40番 第一楽章冒頭
このパッセージはかなしさ、深い諦念が感じられるという。
弦楽5重奏も同じだ。
 疾走する悲しみとうはぴったりのうまい表現だ。

 音楽というものは耳で聴くものじゃない その人の精神が聴くのだ

ともいう。ある意味でこれは本当だろう。

2011年10月17日月曜日

The Worldwide economic panic will bring enormous change to the international capitalist society.

Thank you for your good info. mail.


Such protest demonstrations have occured all over the world.

Marx's plan: The Worldwide economic panic will bring enormous change to the international capitalist society.

I hope so.
Thank you. See you.

2011年9月9日金曜日

高く売る智慧 高いものに飛びつく浅智慧

ネットで参考になる?やばい日本人論

福井の鯖江のチタンのめがね製作、『メガネの利益率の高さでして、これ1個売ると、トヨタのYarisを10台売っただけの利益が、これ1個で上がるんです』 という。 

小生の知人は大阪から福井の知人のメガネ屋さんにたのむ訳なんだろうか?
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 以下参考引用http://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/ 

いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論 - GIGAZINE

gigazine.net

2011年8月13日土曜日

土門拳 ヒロシマ 東松照明 ナガサキ ---原爆忘れまじ---

 筆者にとってはじめての”原爆体験”は第五福竜丸のビキニ環礁での被曝だったと云えるだろう。

  それは筆者がまだ10代の後半に入ったばかりのころだった。

  第五福竜丸の被曝を新聞やラジオ、雑誌で見て、爆発に伴う放射能被害の恐ろしさに驚かされた。

 日本はヒロシマ、ナガサキ、静岡県焼津市の第五福竜丸と三回の核実験被害に遭ったことになる。  

 日本は唯一の被爆国として核兵器廃絶へ強く訴えつづける使命と責務があるといわれる所以である。  

 当時盛り上がっていた運動、東京の杉並の主婦たちがはじめたという原水爆禁止を求めるものであった。  

 大阪でも原水爆禁止世界大会が北区の扇町公園のプールで開かれた。筆者もたった一人だが誰に誘われたというわけでなく個人として参加した。世界中から参加者が来ていた。第五福竜丸の久保山さんが亡くなって、原水禁の運動は大きく盛り上がっていたのである。

   土門拳がヒロシマを撮っていたのは以前に書いた。土門拳のヒロシマの写真は子供たちほか、原爆被害者をきちんと見て捉えていて、多くの人々を惹きつけるものであった。土門のヒロシマの作品はニューヨークの近代美術館にもコレクションされた優れたものとなった。  


 筆者は土門の弟子と(自分はいわば”森の石松”だという”自称”も含めて)いう写真家数人と親しくなったが、実際の土門拳その人は車椅子で写真撮影に励む姿をNHKのテレビで親しく見ただけであった。  


 東松照明と知り合ったのは1985年の6月に新宿の飲み屋街(新宿ゴールデン街)で飲んだときだった。筆者がたまたま友人に誘われて行った飲み屋に東松照明が来ていたのである。そこで彼とはひょんなことで論争になり、その夜はそのまま別れたのを覚えている。 

 筆者と論争したことが印象に残ったのか東松照明は筆者を覚えていて何度か筆者を食事に誘ってくれて歓談することがあった。  

 80年代後半、日本はバブル経済で”世界一の金持ち”といわれ、世界中の羨望の的となった。

 戦争犯罪者を多く生んだ侵略国がなぜ”世界一”と反感をもたれていくことになる。成功すると必ずやっかみが起こる。

 筆者は”世界一”になった日本が世界中から羨望され反感をもたれていたのはロンドンでも知った。ロンドンで訪問したレーニンハウスというマルクス・エンゲルスの記念館の学芸員の女性も”世界のお金持ち”になった日本を批判したのである。  


 筆者は当初知らない世界だったが、原爆は人権問題からはずされようとしているのを知った。

 大阪の或る人権団体が人権問題の冊子を作ることになった。その扉にそれぞれ問題ごとのテーマを象徴する写真(10点)を掲載することになった。  筆者もそれを手伝うことになる。

 9点の提案は問題がなかった。

 ところが原爆の写真がひっかかった。

 大学院で人権問題を研究してきたという或る若い研究者は原爆の写真はだめというのである。加害者である日本人がなぜか被害者にかわるきっかけにしてしまうマジックが原爆だというのだ。 論争となった。そこで東松照明のナガサキの写真として著名な11:02で止まって壊れた懐中時計を撮った写真が提示された。それにはその若い研究者も反対がし難くなり、ようやく掲載することを納得した。

 被害を受けたのが人間でなく物言わぬ時計だったからであろうか。   これは、もの云わぬ写真がものを言った典型的な例と云える。http://www.blogger.com/img/blank.gif

  これは、筆者の記憶から消えることのない貴重な経験となった。

広島、長崎、原爆忘れまじ! Remember Hiroshima & Nagasaki!

 (文中敬称略、失礼の段ご容赦下さい)
映像と文化通信・自由ジャーナリスト・ネット ケイ・イシカワ
(2008年08月11日)記事転載再録
2008年08月11日 06時23分26秒 | 写真・映像・アート